2013年2月1日金曜日

時間の価値(書きかけ)

日本の役人は(と十把一絡にしてすまないが)、時間の価値を認識していないと思う。基本的に物でしか価値が測れないのだろう。
例えば、交通渋滞で何人の人が何時間遅れて何億円の損失になっているなんて考える人はいないのだろう。だから、無計画な道路工事をして、日本中を渋滞の塊にしても知らん顔である。もし少しでも思っているなら、渋滞の解消にもっと力を尽くしているはずである。

何故だろうか。企業では、人を動かすには基本的に予算が要る。予算がなくては自分自身が動くこともできない。逆に仕事を早く済ますことができれば予算が助かるのだ。私も始めは面食らった。役所は違うだろう。いる人を使うのはタダである。その人が効率的に働こうが、のんびりやろうが、何も変わらないと思われていると思う。この感覚で世間を見ていると思う。

従って、次のようなことになる。

同じようなハードができさえすれば同価値と思う。使いやすかろうが、使いにくかろうが、機能が形式上同じならその違いを評価する感性がない。使いやすさは同じ事をするために必要な時間にしか換算されないから。
もっといえば、ハードが出来上がらない仕事には価値がない。という判断になる。

情報の価値を認めない。情報には形がない。どう役に立つかだけである。

ソフトウェアの価値を認めない。ソフトウェアにも形がない。

報告書はページ数、或いは文字数で勝ちが決まる。内容の濃い薄いは関係ない。